2024年の旅ブログ

旅は宇和島から土佐の国に向います

こうこく

 

 


愛媛県宇和島市の道の駅きさいや広場に居ます。

むーちんさんが先日ここに泊って、道の駅うわじまと書いてましたが・・・

かすってもないので訂正しておきます。

道の駅きさいや広場どす。

ここ宇和島も漁業が盛んで、売店でたくさん魚が売られているのです。

せっかくなので自慢の魚で朝食を・・・

・・・・・

車内で魚が捌けるかー!、魚が焼けるかー!!

・・・と、昨日と同じネタを繰り返す今日この頃・・・

皆様いかがお過ごしでしょうか。

ここにはえひめ丸を忍ぶ碑があります。

今も鮮明に覚えているのです・・、2001年に宇和島水産高校の練習船えひめ丸が、ハワイ沖で急浮上したアメリカの原潜に衝突されて沈没し、乗員5名、生徒4名が亡くなった悲しい事故・・、亡くなった生徒4名は全員17歳の高校生で、将来を夢見る若者の命が一瞬にして奪っわれてしまったのです。

身近に起こった事故だけに、当時のショックは今も忘れられません。

こんな事は二度と起こしてはならんのです。

ここからは宇和島城を臨む事が出来ます。

たった10万石のちっぽけな城なのですが、貴重な現存十二天守のひとつです。

そしてここは伊達政宗の長男秀宗が藩主となり、宇和島伊達家が治めたところ・・・

何故こんなところに伊達政宗の長男が・・、と不思議に思うのが歴史の面白いところで、こんなのを調べ出すとハマってしまうんですよね~・・

市内には伊達博物館があり、お城祭りにはこぞって武者行列をするほど、宇和島市民には伊達家が根付いているのです。

現役時代に仙台に出張した時に、運転手さんに愛媛から来たと言ったら「伊達繋がりですね」と言って運賃をオマケしてくれたのです・・、少しですが・・、あの~ワタクシは松山なんで伊達とは関係ないんですう~・・、とも言えず・・、この人達にとっての伊達家は、愛媛=宇和島=伊達家にしてしまうくらい大きな存在なんだろうなと、感心してしまったのです・・、たぶん宇和島市民も同じなんじゃないかと思います・・・

ちなみに一昨年の北海道帰りに、仙台の青葉城跡に伊達政宗像を見に行った時の写真がこれ・・、う~~ん・・・、マンダムな政宗・・・、なのでした。

ここでも昨日と同じく、懐かしいお店を訪ねてみたのですが・・・

ここも閉店ってか・・、やっぱり、時は流れているのです。

ここは同業者とよく談合話をしていたお店・・

越後屋、お前も悪よの~・・と、密談しながら酒を酌み交わしたものなのです。

密談

今と違って昔は談合なんて当たり前・・、これが日本を支えてたのです! ←ハクションです、い、いや・・、フィクションです、いや、ホントかも・・

黒猫のダンゴウ・・・

あのお店の鯛めしを食べたかったのですが、昨日に続いて鯛めし二連敗・・・

結局、近くのお店で今日もうどんを食う事に・・・、まあ、好きだからイイのですが。

うどん食ってお腹も満たされ、さあ、これから何処へ向おうかと・・・

先日、むーちんさんが行った多賀神社の秘宝館へ行こう・・・、なんて事は全く思わず、

このまま南下してもつまらないし、戻ったらもっとつまらんし・・、ならばその中間を進んでみようかと、山を越えて四万十町に向う事にしました・・、まったくアテも計画もない旅です。

旅は土佐の国へ向います。

そう言えばここ5年は毎年お遍路してたので、年に一度は四国一周してたのですが、今年は行く予定もいので、ひょっとしたら今年初高知かも・・・

さすがに5回もお遍路すると、車遍路はもうイイかと思うのです・・、だんだん意味を感じなくなって来て・・、別に修行してる訳じゃないけれど、車で何回も回る事に意味があるのかと・・、なので、次回るなら歩きしかないのです・・、何時になるか分かりませんけど・・・

山道を走って高知県に入り、

途中で買い物しながら二時間ほど走ったら、

高知県四万十町のあぐり窪川に到着です。

あぐり・・・?

ではここで問題です・・、ここはなんであぐりなのでしょう。

アグリ・・・

あくび・・・

おぐり・・・

正解は、

知らん。

・・・・・

今夜は焼きそば焼いてビールをグビッと・・・、飲んでる写真がないのです・・

最近、写真撮るのをよく忘れて・・、これ一枚しかないのです。

ビールは忘れず買ったのに・・・

う~~ん・・、これはイカのキ○タマなのだ・・・

そのうち何食ったかも忘れるかも知れんな~~・・

・・・

なんて事にはならんでしょう・・

ワタクシ、楽観的年金生活車中泊者なのですよ、ムフッ・・・

・・

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こうこく




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