旅に出ないおやじの日常

古里・風早を行く

こうこく

 

 


生まれ故郷の旧北条市に向っています・・・

現在の松山市の北の端・・、2005年に吸収合併されるまでは風早平野が広がる北条市だったのです・・、63年前にここで生まれました・・、オギャ~・・👶

この地域は風早地区と呼ばれて、その昔は河野水軍が本拠地とした所・・、高縄山から吹き下ろした風が、大地を颯爽と吹き抜けて行くのです・・

木枯紋次郎みたいでカッコイイ・・

・・

両親のお墓に到着・・、何故か今日はカンビンで来ています・・、いつもお墓に来るか、今治に行く時の通過点になってしまっているので、今日は生まれ故郷をゆっくりと散策してみようと思っています・・

お墓の裏のこの路地を進んで行くと確か海に出られたはず・・、子供の頃以来、50年以上通ってない道なのですが、何となく記憶があって・・、この先を左に曲がって、すぐ右に曲がったと思うのだが・・・

おお!…屋政子・・、これこれ・・、こんな感じの道です・・、周りの建物は変ってますが、子供の頃家から海パン一丁で歩いて来たこの道です・・

この堤防の先が子供の頃によく泳いだ砂浜のはず!

が~~~ん・・・・・、す、砂浜が無くなっとる・・・、幼少期の思い出が無くなっとるじゃないか!・・港になってしまっておる・・・、う~~ん、時代の流れか・・、今は海で遊ぶ子供なんておらんのか・・・、鹿島だけが昔のまんま浮かんでいる・・・

港に移動して、ちょいとカンビンを停めさせて頂きます・・、駐禁じゃありませんよ、ここ・・、子供の頃にはここに幌屋根を張った漁船がズラリと並んでいて、夕方になるとご飯の炊ける匂いが漂っていたのです・・、そう、当時は船上生活の人達がたくさんいたのです・・

当然同じくらいの歳の子供もいたのですが、家もなくて学校にも来れなくて・・、今では考えられないほど、恵まれない子供がたくさんいたのです・・、そんな時代でした・・

・・

この道が鹿島通り・・、この先の桟橋から渡船に乗って鹿島に渡ります・・、昔は食堂や駄菓子屋がたくさん並んでて、大人や子供で賑わっていたのですが・・・

鹿島神社の鳥居をくぐって渡船に乗るのです・・、そう、鹿島神社こそ我が氏神様で、ワタクシその氏子なのです・・でも本殿が向かいの島にあるのでなかなか行けないのですがね・・

渡船で5分で渡れる鹿島です・・、昔は観覧車やゴーカートなんかもある遊園地があったので、この島に連れてってもらうのが楽しみだったのですよ・・、鹿島と言うだけあって野生の鹿がたくさんいて、そこら中を歩き回っていたのです・・、今はオレンジ屋根の太田屋さんだけになってしまったけど、以前は国民宿舎もあったので、泊まり客や宴会客で賑わっていたのです・・

実はこの太田屋さん・・、渥美清さんがお忍びでよく来ていて、宿泊はもちろん、日帰りでもわざわざ来るほどのお気に入りだったようです・・、ここで心の底からくつろいでいたのでしょう・・、今も当時のままの部屋が残されています・・

ちなみにこの太田屋さん・・、こんな造りになってるので部屋の窓から釣りが楽しめます・・

そしてこれが名物の鯛飯・・、北条鯛飯は野菜などの余計な物は一切入れずに鯛だけで炊き上げるのが特徴・・、これ、ほんと旨いのですよ!・・

なんか太田屋さんの宣伝になってしまった・・・

・・・

鹿島通りを反対側に進むとJR北条駅に突き当たります・・

昔は賑わっていた駅前も今はこの通り・・

昔はここがバスのロータリーだったので、バスや列車に乗る人で賑わってて・・、駅前の商店街だったので町の中心的な所だったのですが・・、淋しい限りです・・・

子供の頃はこのホームの向こう側は線路に沿って道があって、それが通学路だったのです・・、今では考えられませんが、フェンスなんかは一切なくて、手が届きそうな所を列車が走るその道を、ワイワイガヤガヤと通学していたのです・・、すごい時代でしょ・・

・・・

今度は少し移動して、ある場所の駐車場にやって来ました・・・

この緑地を抜けて上に上がると・・、

おお!…原麗子・・、海を眺めるカラスがサマになってるでは有馬温泉・・・、なかなか絵になるカラスです・・

ここはもうご存じモンチッチ海岸・・、いつ来ても心安らぐ優しい海です・・

ここにカンビンをちょいと置かせてもらって、町の散策に向おうと思います・・

でもその前にお気に入りのお店にちょいと寄って・・、

ネギ中盛りのネギ増し・・・、腹が減っては木から落ちるなのです・・

・・

川筋にたくさん桜の木があるのですが、まだ2分咲きと言ったところでしょうか・・、お花見にはまだまだのようです・・

通っていた小学校です・・、当時は木造の校舎で窓から隙間風が吹き込んでいました・・、広い校庭に木がたくさん植えられていて、でっかいカマキリやクワガタなんかが普通にいたもんです・・、当時はたこ焼きが3個10円で買えたな~~

学校の前の道も歩道なんてなくて、車が走る道路の端っこを一列で歩いていました・・、子供の頃は学校までの道程が遠く感じたのですが、今歩くとこんなに近かったのって感じです・・、道路も建物も変ってしまって、昔の景色と全く違ってます・・

直ぐ近くにある旧北条市役所・・、ここに婚姻届を出しに来たのですよ、その昔・・

これは中学校へ続く道・・、当時は田んぼの中の舗装もしてない一本道で、この川ももっと広かったな~~・・、理科の授業のカエルやフナの解剖は、この川で自分達で捕まえて持って行ったのです・・、食用蛙やでっかいフナなんて幾らでもいたもんな~~・・、父親とシジミを捕った事もありました・・・

いつ建て替えたのかスッキリした校舎です・・、当時の校舎は出来たばっかりで、最新の設備を備えた学校だったのですが、それはもう50年ほど前のお話・・、半世紀前なのか~・・、歳を取ったはずです・・、月日が経つのは早いものです・・・

・・

この道を真っ直ぐ進んで突き当たった所に神社があります・・、子供にとっては遠い道程で、まず歩いて行くなんて考えられなかった遠い遠い道程でしたが・・、

大人になってもやっぱり遠かった・・、距離は縮まってないようです・・、せっせと歩いてやっと鳥居まで来ました・・

國津比古命神社にやって来ました・・、ここで行われる秋祭りは風早の火事祭りと呼ばれ、日本三大荒神輿のひとつとして毎年賑います・・

この階段から神輿を投げ落とし、ご神体が出て来るまで何度も繰り返します・・、昔は常に救急車が待機しているような祭りでしたが、さすがに今はそんな事はないでしょう・・、伝統を引き継ぐ風早の祭りです・・

久しぶりにお参りします・・・、大変ご無沙汰しております・・

子供の頃はこの竹林を風が吹き抜ける音が神秘的で、ここには天狗がいるような気がしていたのです・・、怖いと言うのでは無くて、何か違う世界にいるような・・、不思議な感覚だったのです・・、子供だけが感じた世界だったのかも知れません・・・

・・・

モンチッチ海岸まで川筋を戻って行きます・・、ついつい遠くまで来てしまったので長い道のりです・・

真ん中の腰が折れたような山が腰折山・・、そのまんまの名前です・・、昔、鹿島と腰折山がケンカして、鹿島が怒って投げた岩が腰折山に当って、腰が折れてしまったと言い伝えられています・・、そのお投げた岩も麓に残っているのですよ・・、そんなバカバカしい話でも、小さい頃は信じてたもんな~~・・、子供は純粋なのです・・、でもケンカする前から腰折山という名前だったのもすごいでしょ・・・・

川沿いの道を海に向ってひたすら歩き・・、

昔はよくあったであろう、こんな小さな踏切に行く手を阻まれ・・、

やっとこせ海岸まで戻って来ました・・・

おお・・、カンビンがちゃんと待ってるではありませんか・・、当たり前ですが・・

疲れたので横になってたら、しばらく眠ってました・・・、昔の夢を見ていたような気がします・・・

・・

家へ向って海岸線を走っていると・・・

何人もの歩き遍路さんに遭遇です・・、この海岸線の周辺だけで7人のお遍路さんを見かけましたが、内2人が外国人・・、内1人が女性・・、気候がよくなったせいか、お遍路さんラッシュです・・・、う~~ん、こんなにいると希少価値がないような気がする・・・

でもやっぱり尊敬するです・・、憧れるのです・・、やり遂げたら人生観変るだろうな~~

まだ揺れているワタクシ・・・

・・

昨日アキタさんから頂いたメッセージ・・「これからの人生今が一番若い・・・」

心に刺さる名言です・・・・グサッ🔪!!

・・

↓どうか心に刺さるワンクリックをお願いいたします m(__)m

↓ クリックしてもらえると脱出計画が前進します。

こうこく




-旅に出ないおやじの日常